酒場紀行 Vol.20
「泡とわいん」ー泡の向こうに、人生がある
JR鎌倉駅東口から徒歩3分。小町通りから一本、小道に入る。観光客のざわめきがふっと途切れ、ビルの階段を上がると、そこに「泡とわいん」はある。お店は完全紹介制。少しだけ日常から浮いた場所だ。
オーナーママの倉光 舞(くらみつ まい)さんは、東北の出身。色白で誰もが認める美人だ。仙台で働いていた頃、高級クラブにスカウトされたのが、彼女の人生を大きく動かした。その系列店は六本木にもあり、舞さんは東京へ出る決心をする。それは、まだ「夜が本気で輝いていた」時代だった。バブルの余韻が街に残り、お店の近くに東京のランドマークとなる”六本木ヒルズ”が完成した。この時代、欅坂のルイ・ヴィトンは夜11時まで灯りを落とさなかった。店でゲームに負けたお客が、「じゃあ、行ってくるよ」と言って、そのままヴィトンでバッグを買って戻ってくる。「今では少し笑ってしまうような話ですが、当時はそれが“普通”だったんです」と照れくさそうに笑う。

六本木で2年。華やかさの中で、舞さんは一度、自分を見直すために日本を離れる。向かったのはアメリカ・ロサンゼルス。1年間のホームステイ。異国の地で出会いと別れを重ね、その延長線上で、どうしても行きたかった場所があった。地中海のマルタ島だ。たった1か月だったが、英語が通じ、海があり、人が近い。「とにかく、地中海の島へ行ってみたかったんです」その一言に、彼女の直感的な生き方がよく表れている。
帰国後は銀座の高級クラブへ。お客さまは各界のトップリーダーが多い。幅広い知識と教養が求められる。そして、しっかりと自分の考えを話し、お客さまに価値を提供し、信頼関係を築く難しい仕事だ。舞さんは、次第に上りつめて行った。そして、仕事が順調だった頃、世界が一変した。コロナ禍だ。舞さんは、仕事を失った。そして、鎌倉へ移住し、働きながら心の中にずっとあった思いを温め続けた。——いつか、自分の店を。最初は間借りだった。朝は朝定食、昼は甘味処、夜の時間だけが「泡とわいん」だ。その後、クラウドファンディングに挑戦し、同じビルの2階に、念願の自分の店を構えた。店の主役は、シャンパーニュとワイン。だが、カウンターの隅で静かに存在感を放つ一本がある。「鎌倉クラフトジン露は、すぐにボトルが空になっちゃうんです」そう言って、舞さんは少し照れたように笑う。造り手として、これ以上うれしい言葉はない。

夜になると、この店には不思議と品のある紳士たちが集まってくる。泡を傾け、ワインを味わい、そして舞さんとの会話を楽しむために・・・。美人であることは間違いないが、それ以上に、人を安心させる距離感がある。「泡とわいん」は、ただ酒を飲む場所ではない。時代をくぐり抜けてきた一人の女性の人生が、静かに注がれる社交場だ。
グラスの泡が消えても、余韻は長く残る。そんな夜が、鎌倉には確かに存在している。
