酒場紀行 Vol.22 | クラフトジン露(つゆ)

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酒場紀行 Vol.22

銀座一丁目「スタア・バー」 階段を下るとその奥に扉はある。

 バーの主人は、岸久さん。1965年生まれ。大学時代のアルバイトをきっかけにバーテンダーの世界へ入り、1989年、スコッチ・ウイスキー・カクテルコンテスト全国大会で優勝。1996年には長い歴史と伝統を誇る国際バーテンダー協会主催の世界カクテルコンクールのロングドリンク部門で、日本人初の世界チャンピオンとなった。


 2000年12月、銀座一丁目に「スタア・バー」を開店。アイラ島特別民間親善大使、日本バーテンダー協会会長などを歴任してきた、日本を代表するバーテンダーである。しかし、その輝かしい経歴とは裏腹に、岸さんの語り口はあくまで柔らかく静かだ。実はこのバーを紹介してくれたのは、露を取り扱っている酒問屋・株式会社武蔵屋の竹内社長だった。以前、モンド・バーで一緒になった時、竹内社長から「スタア・バーへ行った方が良いぞ」と言った言葉を思い出した。

 岸さんは修業時代、銀座の名店「絵里香」の主人・中村健一さんに言われた言葉がある。「バーテンダーはシェイカーを振る華やかな時間は一日のうちほんのわずかだ。それ以外は掃除や仕込み、磨きものなど、山のような雑事があると」言われ叩き込まれた。その言葉を聞いたとき、私は思い出した。「数寄屋橋サンボア」で、オーナーバーテンダーの津田さんが毎日、真鍮のバーを丹念に磨く姿を。華やかな舞台の裏側にある、黙々とした営みこそが、バーという文化を支えている。何においても準備は大切だ。

数寄屋橋サンボアの磨き上げられたバー

 この日、私は初めてカウンターに座った。注文は決まっている。初めて訪れるバーでは、必ず「マティーニ」を頼む。それは、私の前職時代にさかのぼる。職場の近くにパレスホテル(東京都・千代田区)があった。1961年(昭和36年)、私が生まれた年に開業したホテルだ。仕事帰りの深夜、先輩に連れられてそのバーを訪れた。「世界一のマティーニを飲みに行こう」そう言って、先輩はいつもカウンターに腰を下ろした。ホテルのバーの張りつめた空気。マティーニはただ強いだけの酒ではない。ステアの回数、グラスの冷やし方、そのすべてが計算され尽くしていた。その一杯が、私の中に「基準」をつくった。だからこそ、初めて訪れるバーでは必ずマティーニを頼む。それは試すためではない。自分の中の記憶と、目の前の一杯を静かに重ね合わせるためだ。

 当時のパレスホテルのバーは、大手町、丸の内の仕事帰りの大人たちの社交場だった。カウンターの向こうに、ひとりの男がいた。「ミスター・マティーニ」と呼ばれていたチーフ・バーテンダーの今井清さんだ。磨き上げられたカウンター、そこに立つ今井さんの所作は、無駄がなく、まるで儀式のようだった。若かった私は、その時間がひどく背伸びしたもののように感じられたが、不思議と心地よかった。

 話しをスタア・バーに戻そう。岸さんのマティーニも、過剰な装飾を削ぎ落とした、凛とした一杯だった。ジンの輪郭が澄み、ヴェルモットは気配のように寄り添う。氷の扱い、ステアの速度、注ぐ角度――すべてが寸分の狂いもなく整っている。派手さはない。だが、その静謐さの中に、世界を制した者の覚悟が宿る。華やかな世界大会のタイトルを持ちながら、その一杯は驚くほど控えめだ。いや、控えめなのではない。余分なものをすべて削ぎ落とした結果、あの静けさにたどり着くのだろう。修業時代に教えられた「雑事の山」。磨くこと、整えること、片づけること。それらを積み重ねた者だけが、あの透明な一杯にたどり着ける。

 岸さんのバーには、もう一つ興味深い物語がある。映画『国宝』の原作者として知られる作家、吉田修一さんが、芥川賞の連絡を待った場所でもある。その時、岸さんが吉田さんのために考案したカクテルの名が「パーク・ライフ」。名前の由来は、吉田修一さんの芥川賞受賞作『パーク・ライフ』だ。「文学とバー」一見、離れているようでいて、実はとても相性がいい。銀座のバーは、作家たちにとっても特別な場所なのだ。静かなカウンター、深夜の時間、そしてグラスの向こうに広がる思索の余白。スタア・バーは、いつしか「芥川賞の電話番をする店」としても知られるようになった。作家の石田衣良をはじめ、多くの作家が受賞の連絡を待つ場所としてこの店を訪れた。そして、その結果はというと――現在、なんと6連勝。作家たちは、この店で飲みながら受賞の知らせを受ける。偶然なのか、験担ぎなのか、それとも銀座の夜がもたらす小さな奇跡かも知れない。

 銀座という街は、不思議な場所だ。歴史と革新が同居し、老舗と若い感性がせめぎ合う。その中で、岸久というバーテンダーは、伝統を守りながら、静かに前へ進んでいる。「スタア・バー」の”スタア”は、星。一夜の輝きではなく、長く遠く光り続ける星でありたい――そんな願いが込められているように感じた。カウンターを立つとき、私はふと思った。マティーニとは、単なるカクテルではない。その店、その人、その街の哲学を映す鏡なのだと。銀座の夜空に瞬く「スタア」。その光は、今日も変わらず、凛と光っている。

銀座 スタア・バー  https://www.starbar.jp

この記事の著者

秋山 栄二

はじめまして。新聞社を退職後、ラジオ局の役員を経て、2024年11月に株式会社風雅を設立しました。主な事業は酒類販売小売業、広告代理店業です。趣味は旅行と食べ歩き。おいしいお店やBAR情報など紹介していきますのでお楽しみに!

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